ぼくは国語がすきだ。
語学としての国語。
哲学としての国語。
思考訓練の場としての国語。
日記みたいな国語。
日本語としての国語。
読書としての国語(アマゾンで通常便で頼んだ15冊の本が一週間してもまだこないことをふと悲しみながら、嗚呼週末の読書生活が台無しだ)。
情報処理科目としての国語。
文体研究としての国語。
思いをつたえる国語。英語の和訳としての国語。
で、本業の、
入試科目としての現代国語。
国語の森のヒサオ′先生が(かっこ)嫌いとははじめて知った。
文章に切れがなくなるかららしい。
ヒサオ′先生の教務内容よりも(それはさることながら)文体が好きでよく読んでいる(てゆうか教務力研鑽のため140以上の教務・受験ブログは毎日目を通しているわけだがとくにという意味ね)ヒサオ′の英語も国語として僕は読んだ。
(かっこ)を使うと切れが減る!
たしかに!それはあるのかな。
ぼくのブログは(かっこ)だらけだから切れがなかったのか!(と半ば納得しつつ。りょぼしいさあさん切れがあるの?→「いぇ、切れがないっすよ」(小力風に))
この、切れってやつとみかみ先生の言うキラーブランドって関係あるのかな。