ヒカリブログ

上尾市と桶川市の間にある学習塾光塾

今夜はカレーだよ(5)

たとえばゲームやまんがあるとしてゲームやまんが自体はいいもんだ。

ゲームがゲームとしていい。まんがはまんがとしていい。

「ゲームやまんががあるから勉強しない」ということばにはどこか足りないところがある。

ゲームやまんががなくたって小説もあればテレビも携帯もラジオもiPadもパソコンもある。

代替のものならいくらかあるだろう。

ゲームやまんががわるいのではない。

いまそれをするべきかやめるべきか。

いま学習をしたらいいのかしないほうがいいのか。それを判断する力がないことの方が問題だ。

「ねー、ゲームやっていい?」

100回くらいはいいかわるいか聞いてていいかもしらん。

でも、自分でわからないの?

部活動は、一般的な部活動のことはヴォクは知らないが、いいもんだ。

東京大学に進学した卒業生が本に書いていた。

「1日まったく勉強しない日をつくっていました」と。

体育会のハードな部活動でただでさえ勉強に回せる時間が少ないというのに勉強を一切しない休日をつくっていただなんて。

恥ずかしいことに6年間そのことに気がつかなかった。

やりたいこととやるべきことを自分で決めているのだろう。

成績が優秀な子でニュースを見ている子もいればニュースは見ていない子もいる。

ニュースを見る見ないがそのまま思考力形成に影響を大きく及ぼすということはない。

時期がくればニュースを読みたい人はニュースを読むだろう。

携帯を持っていても余計な機能をつかってみて邪魔だと感じたものはカットできるような判断力が持てるようにならねばならない。

逆に辞書機能など便利なものがあれば電子辞書のように活用したらいい。

ドラえもんがいたとして、いやいないまでも未来は今よりすこし便利になっていることもあるとして、だから道具に頼って自己学習しなくなるなんてことがあるだろうか。

いろんなことを体験することができていろんな秘密道具を利用できて、むしろのび太は勉強したくなるんじゃなかろうか。

のび太くんが0点のテストだらけという点において「ドラえもん」には間違いがある。

あるいは道具に溺れてまんがの設定のようにのろまなままののび太なのだろうか。

それはドラえもんのび太次第なのではなかろうか。