でね、我慢強さが必要なわけ。
きょう勉強するってときに疲れるまでやってそこまでで終わってても成果なんていささかも期待できないの。
どこまでやるかは疲れて休みたいと思う怠惰な自分と、目標に固執する挑戦的な自分との闘いだ。
この闘いは勉強すると決めたら毎回起こる。
問題に没頭しているときは頭によぎらないが一区切りつくとこうだ。
「あー 腰がいたくなってきたぁ。GGが発動したらいけないなー。喉も渇いてきた。ジュースを飲むのも勉強のためだよな。まてよ、でもここで休むと再開するまでになんだかんだ(のなんでんかんでん)で15分かかるかもしれない。場合によっては気が変わってもう趣味に走りたくなったりするよな。自分で自分をほめてあげたい、はじめてじゃないけど、みたいな。うん、継続。終わりとみせかけてフェイクモードで継続と。」
そんなわけで、水筒のおいしいドリンクだけ飲んだ(なんだ机にあったのね)その学習者は、そのまま席を立たずに継続して限界を一山また一山とこえていくのであった。
これは、勉強特性「おしん○」と言う。
・ノルマを決めよ。それがおわるまでは他を我慢せよ。
あ、GGはぎっくり腰のことですね。勉強するくらいではそれは発動しません、はい。
おしんのように我慢して何を自学するかって?
数学が得意な子ほどなかなか解答を見ない。
解答を見たらわかる。
それはそうだ。
よい参考書、よい授業にはよい技術がありわかりやすく作られている。
しかしわかることと自力で解けることの間に大きな川が流れている。
そこに自学という橋を渡す必要がある。
習うことでどんな川が流れているのかよく見えるようになる。
あとはその川を渡るだけなのだが自分でまとめたり自分でわけを考えたりする時間がないとできるようにならない。
思いつかないのだ。
よく人は参考書を批評して次のように言う。
解答はあるのだがなぜその解法を使うかがあまり書かれていないのでいい本ではない、と。
この批評は半分間違っている。
どう手をつけようかと工夫するときにぐっと力がつくのだ。
たとえ今回思いつくまでの時間が長かったとしても次にはその時間を短縮できる。
だから長時間考えてみることはいささかも無駄になることがない。
速く解けるようになりたかったら一度自分の頭で一から整理し直しておくことだ。
知識が使える形で身につくように。
直観的に使えるくらいにまでその知識が身につくように。
先に解法を述べておいて問題を見せられたらそれは解ける。
先に例題を見せておいて次に問題を与えられたならそれは思いつける。
しかし本試験では例題もない。
解答の指針もない。
本試験で思いつけるようになるには日頃から武器を使いやすく整理しておくことが必要だ。
知っているだけでなく引き出せるようにしまっておかねばならない。
知識のアウトプットということが問題となる。
そしてアウトプットのトレーニングは自分でやる領域にある。
そしてアウトプットの自主練には時間はかかるもんだ。
前にも書いたが漢文の好きな中学生がいて一緒に漢文購読をしている。
カリキュラムは普通で漢文の基礎たる熟語を毎週30語ストックしつつ毎週1文章を読むというもの。
この子は先日の期末試験で珍しく国語100点をとり教師から過去6年間で2人目だったと言われたらしい。
なぜ漢文が好きなのかそういえば聞いてなかった。
今度聞いてみたい。
この子は熟語30語を毎回満点おお合格でクリアする。
満点を続けることもう何年になるだろう。満点でなかった記憶がない。
小学生のうちに漢検二級をとるくらい漢字が好きという。
今の漢字の本は最終的なものなのだが最近よい漢字漢文の本を見つけた。
それも手渡すことにしよう。
我慢して覚えているようなところが見えない。
むしろ進みたいのを我慢して毎週30熟語を繰り返しているようにも見える。
不思議でならない。