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ただのノート、ただの独学者

中学時代に塾にも行かず家庭教師にもつかず模試と中学校だけを目安にしながら独学独習してトップ高にやってきた子がクラスに何人かくらいずついてその中の一人ととてもなかよくなったと高校生がうれしそうに話してた。

ヴォクがノートについて尋ねたところ、すごいノートでしたと彼は答えてくれた。

はな:どんなふうにすごかったの?

子:それが何でも書いてあるんですけどきたなくて何が書いてあるか全く読めません。

速記術かー。

いいなー。

話してくれた彼はいま倫理が一番おもしろいと話してた。

期末テストの範囲はノート一枚だったらしい。

濃いなー。バリ濃いめだ。

鶴丸出身の柳田理科雄さんの著作に中学の頃からはまっていて入院中はいつも読んでいたと聞いている。

倫理にも興味を持ったと知って驚いた。

ヴォクは自分が独学だったことは念のため置いといて、見聞した人や友人の独学者の話をよくする。

ほとんど毎日のようにそういう話をしている。

その話をされた日は、かわいそうだが教材は進まないので開かない。

逆はどうだろう。

本当は一人でできることなのにそこを教えるということはヴォクにはできない。ヴォクはあなたの脳でもなければあなたの脳トレの邪魔者になりたくもない。

わからない気がするものでも、前回やったところに書いてあればそこを見れば済む。

よくわかるしつこい参考書に書いてあればそこを開いてみたらいいまでだ。

本当は覚えるしかないことも存在するだろう。

猫に( )判。( )に入る言葉はなーに? ってそんなことは日本語を熱心に学ぶ外国人でさえ独学できることだ。

自分でできることは自分でしなければいけない。

そんなことすらせず人に何を聞くというのだろう。

いや間違いなくそこにニーズはない。

だから一人でできることは本当にひとりでやるように伝える。

それに何より、ひとりでできることを増やしていかねばならない。

うちにはそう考える子しか来ていない。

「自分でできることを増やす」ことを毎週耳に( )ができるくらい言っている。( )に入る言葉は人に言ってもらってもたしかに覚えるかもしれぬが、人に言ってもらわなくとも覚えられる。それは経路の問題だ。

時間がない、時間がないと人は言う。いや時間はある。現に生きている。

本当は時間がないのではない。

目標がないだけなのだ。

なりたい明日の自分を見失っている。

本当は解法を知らないのではない。

本を開く回数が少ないだけなのだ。

エネルギーを本にぶつけないようにぶつけないようにしているのだろう。

自分のスキルを高めるとしてそれを何に役立てたいのだろう。

本当は時間がないのではない。

時間はたしかに24時間程度は存在している。

ただ本を開くということにエネルギーと時間とをぶつけていないだけなんだ。

もしも自分でできることを増やしてみたいと希求するなら、一日の中で本を開く回数を増やしてみたらいい。

ひらけーーー、ご本。

独学者はそういうことを仕方なしに知る環境にいる。

独学者は頼る相手がいない。

だから自分でやるしかないと考える。

あきらめて捨てるか、なんとかしてくらいつくか、独学者にはいつだってふたつの可能性しか開かれていない。

誰も教えてなんかくれない。

質問したくても相手がない。質問するという概念がなくなり自問自答にかわってゆく。

ロビンソンクルーソーのように頼る相手はいない代わりに自分でできることは増えてゆくだろう。

どこかの人里離れた山奥で自給自足を営む生活者のように自分でできることが多くなるだろう。

ひょっとして教わった方が早いこともあるだろう。

でもいつか最先端まできたら誰も答えを知らない。

そのときに何でも教わっていたばかりの人間が今回に限り自分でなんとかできるというのだろうか。

それでも答えのない疑問は無限にぼくらを襲ってくる。

難題はいつだって星の数ほどある。

それは解決したい難問題かもしれない。

いつだって問題は山積みだ。