どうでもいい話。
ファイルの厚さと成績は比例する。
(ざっくり何でもかんでも比例するわけもないので、「◯◯と成績は比例する」といえば、このシリーズの話はすべて間違っていることになる。
それに、成績という言葉は結果主義な語感もあるが、まぁそれがそれとして読まれることも構わぬつもりで書いている。
それでも念のため、どうでもいい話という前置きを毎回つけている、というどうでもいい前置きは本当に置いといて(前置きだけに)。)
「このプリントは、初級と中級を集めたこの問題集には載っていない上級の部分になっているから見直したあとも捨てずにファイルしておくといいよ」と伝えたことがあった子(中1)がたまたま今日はそのファイルを持ってきていた。
A4のプリントが何百枚か全部ファイルしてあった。道理でかばんが大きかったのか。でもどうして持ち歩いているのだろう。
別の小学生(小5)は、中学数学のA4のプリントをヴォクが英語や国語と一緒にして1つのファイルに閉じていたのを、国語は国語専用のファイルに、数学は数学専用のものに、自分で自分の仕方で閉じなおしてきていた。
今日、感動した。
ファイルを整理しておくと頭の中も整理されすっきりする。
英語をやるときに数学はいったんしまっておけばいいし、国語をやるときは机の上を国語だけにすることができる。
順番に閉じていけばあとから調べたり検索したりするのにも都合がいい。コンピューターで保存しているのでなく紙で保存している子どもたちの場合には、こういうファイルがあると便利なのかなと思った。
ファイルを作っておくことはなんだかとても便利そうだ。
同じ1つのファイルに何でも上から継ぎ足して閉じるのをやめてファイルくらい種類を分けてたくさん使うようにヴォクの準備ときからしようかという気にも少しなったが、まてよ、使う人が自分の好きな順番に自分で整理する喜びもとっておいたほうがいいかなという気もする。
ヴォク自身は何でもひとつのところに綴じている。
(ここ4、50年の入試問題の良問や昔つくったプリントの類も念のため最近はスキャンして電子倉庫にも保存している。いつ紙が雨に濡れてしまってもいいように。)
板PAD(タブレットPCの類)で使うときも、検索窓にキーワードを入れるだけでファイルのページが出てくる。扱えるドキュメント(文書)保存量とファイル形式に制約のあったザウルスやクリエの頃とは時代が変わったことを毎日のように感じる。
手のひらの上に保存できるファイルの数が多くなっていて便利になったものだ。
なによりたとえば公園やオフィスで携帯できるパソコンを開いても誰も見向きもしなくなったのが気楽でいい。(昔はクリエを使っているとなにこれ珍百景てな感じで、よく「かっこいいね、これなに、なにこれ?」などと突っ込まれた記憶がある。当時はそのたびに小さいパソコンの説明をせねばならなかった。)
プリントやファイルにはタグや栞や目次をつけたりフォルダを変えたりといった「分類と並べ替え」というメンテナンス(という趣味的なもの)はコスト(とくに時間)がかかるけれど、必要のときにスピーディに便利に使えるようにある程度念入りにやっておきたいものだなぁ。
ファイルといえばソースネクストの「ダントツ軽量化」が今からたのしみ。もっと軽くなるってどんな感じなのだろう。
またね、またたびね、もふもふね。