ある中3生の第一志望校に調整、決定があった。ひとつに絞るまでにはいろいろ考えるところがあったのではなかろうか。ひとつを選ぶということは他を捨てるということでもある。
外国語科を志望したい。「英語が話せるようになりたい」ということだった。
英文法、英単語、英文読解ともすでに必要なレッスンは終わっているので、あとは春まで本人のトレーニングとなる。
この夏は600文の英短文をすぐに言って書けるまで覚えるように(2周目)と伝えてある。
高校入試だけではなく英語の資格試験と進学後を意識して、リスニングとスピーキング中心に今後はレッスンする予定。この子もいつも音声CDを繰り返し聴いていてテキストには音読日、リードアンドルックアップhttp://selflearning.seesaa.net/article/100023741.htmlの練習日がたくさん並んでいる。
10回も20回も日を変えて繰り返し同じ英語長文を研究、練習している。知らないことがなくなるまで繰り返している。
せっかく数学など他の科目も得意なので授業中は国語数学など他4科中心にしばらくなりそうだ。本人に聞きながら毎週の練習メニューを決めてゆこう。
とくに国語は英語と連関しているので読み解きの十分な練習を積み上げたい。
と、ここまで書いてて思ったけど勉強ってテストの点をとるためにやってるんじゃないんだよね。毎年受験生を見ているとそこの大事な部分の感覚がおかしくなりそうになる。あかんあかん。点をとるだけを目的にしたらあかんぞ、自分っ!
この子のお母様が以前(お兄様が高校へ進学するときに)話されてた。テストで点をとるだけでなくいろいろな勉強をして教養をつけてほしい、というようなことを。
はげしく同感。
勉強は、いろいろ興味を持ったり考えたり読書をしたりするようになった結果としてできるようになるだけで、そもそも勉強(試験)ができるようになることだけを目的にすると、試験の後につながってゆくものがなくなっていくんだ。