試験で本文の精読をするか、設問の先読み先解きをするか
本文を全部読んだ方がいいのか、本文を読まずに先に設問を解くのかは、当たり前だが試験の問題と設問の形式により変わってくる。
敵が違えば戦術が変わる場合がある。
今回はまず、精読すべき場合について書いている。
はじめて楽曲を聴くときに聴き流すのが難しくて、もったいないから一時停止さえしたいときがひょっとしてあるように、最初なにいってるかよくわからないところはゆっくり読みたいものだ。youtubeなら巻き戻せばいいし、映画なら何秒か戻るのが映画館でないところで映画を観る特権である。いまの時代の人間は記憶しなくてよくなったということは映画論の常識。そう、人は正確な緻密に細部にこだわりたかったのがいまならたやすくできるようになっている。多くの分野で。
読解も同じで速読なんていらないどころか邪魔をする。
細部を掴めない人が全体を掴めるわけがない。
全体だけを掴めばいいならニュースの題名だけ読んで終わりであってそんなのは読解ではない。
読解とはいつだって細かく精緻になすものなんだ。
もう一回、書くと、時間をとることのできる入試問題でも、自分の練習時でも文章はきちんと精読したほうがいい。
精読してイイタイコトやどうしなさいがわかったあとなら、ほかはもうどう読んでもいい。たとえば、の後に書かれる具体例が設問の答えにならないのはそれがわけだ。たとえばのあとにある具体例が出題されることはあったかどうか考えてみるとよくわかるだろう。
設問はそこを聞いていたのかと。
テーマが何でそれについてイイタイコトをつかんでどうしなさいがわかったあとならほかはどう読んだっていいがそれはもう精読が終わった後の話だ。
そこはウーマンラッシュアワーのバイトリーダーみたいに読んでも問題は生じない。以下は早口で、
(Pである。その理由はP'だからでその方法はP''のようになっている。反対に、/・・・
ここ/まで来た時、・・・はもう読まなくても予想できる。だから倍速で読みたいときがある。
もしもあくまでもしもだがテスト中のように文章を速く読みたい場合はこういうところは速く読める。
時間短縮できる。
反対になんだからPでないにきまってるだろう。それが2値論理学の基本であって対比の世界統一ルールである。火星では反対にのあとが同じPかもしれないけれど地上ではPの反対はPでないことが一般的だ。
試験では論理にかなった文章が選ばれているので予想を裏切らない部分が多く展開されていく。
こういったことはひょっとしたらあまり習うようなことではない常識であって公式ではない。
楽曲のたとえにもどれば自分でも歌いたくて演奏したくてもう100回も500回も聴いているような場合の聴き方に似て細部を聴いているようでいて実際には全体の雰囲気や流れのようなものを楽しんでいるのであってゆっくり味わうような聴き方はしていない。
そういうことがあるので一度わかった文章を何回も読み直すのは論理の勉強にはなるかもしれないが新しい文章を読むことの練習は新しい文章を読むことからしか得られない。
もちろん10回味読したあとに何かの発見や縁語掛け詞(のようなもの)をひっそりと新発見することはあるかもしれないが論旨がはじめてわかったというようなことはあまりあり得ない。
以上が、列挙と反対にのあとはある程度速読みできるのその1である。
その文だけ読んでまったく意味がわからない多くの場合に抽象的な文を見解あるいは主張という。
抽象で文章が終わることはなくそれを伝えるために具体を用意する。
この具体は速読ができるものではない。
なぜならまだ見解がつかめていない段階だからだ。
見解がつかめているところは早く読み聞きができて見解がつかめていないところではじっくり聴く視るようにすること、このような速度差のある読みをすることが文章を読むのがうまい人ほど自然に無意識に行なっている。
ウーマンラッシュアワーの中川氏の奇声と村本氏の早口は一度言いたいことを伝えた後なら、したがって、列挙は早口でも理解されうるので、とてもいい芸だ。聞き手はもう何が聞こえても聞こえてこなくても2人が何を言わんとしているのかを知っている。
そこには共通の仮想のバイトがあって誰一人バイトリーダーを頼らない人がいない。
バイトリーダーのネタを思い出してそんなことを考えた。流れるように注文を聞いているネタはラーメン六角家の、100人分の行列のお客さんの注文をメモさえとらずに暗記してとっていた伝説の女性定員さんを上回っているかもしれない。「大、あぶら少なめ、濃い」、「大、こめ、おおめ、固め」たったの2人でも順番もバラバラなのに。
私は貴方を好いている(BGMは題の歌)。)
話戻って精読だ。
現代文や英語の大学入試問題は年々長文化しているのは事実だが、試験時間内に終わらないほど長いというわけではない試験問題もある。
そのような場合は精読を行う。
本文を読みながら、
ここはどんな意味か?
ここは何を言ってる?
もっと具体的に言って!
と、自分で具体的に言い換えして読む。
筆者が丁寧に書いていないところでも設問を作った出題者が気づいていたらそこは設問にされる。
だから具体化しながら文章を読む。
読まされるのでなく主体的に読んでいけるこのような読みの仕方を獲得すると、むしろ時間には余裕が生まれるものだ。
なぜなら、主体的な読みができると本文がゆっくり丁寧に読み解けた段階で実はすでにして、設問で聞かれることについてはすでに読み終え把握していたことになっている。
お前はすでに解けている!という設問ばかりが多くなり設問処理しているという感覚が薄れるくらい速く自然に解けるようになる。設問処理の時間は本文の具体化ができる人ほどおそろしく短い。
読める人ほど本文は速読なんてものはせず主張や見解イイタイコトのところで同じか反対か、どういうことだ、なんでなんで?と考えてじっくり読み込んでいるものだ。
それでも時間が余るのは設問の解答が見え見えなくらいにまで本文を読めてしまったからなのだ。
入試で解答時間が足りないという場合には原因が大別して2つあって、1つは言葉や文法の知識が不足、欠落しているため類推が多く入ること(行の読み)、もう一つはイイタイコトを追跡していくための読み方の技術、具体化する技術、理由をたどることができていないこと(行間の読み)であるだろう。読み方の技術とはたとえば抽象と具体を捉えられることである。(下手すると教えられていないので読みに慣れない人は抽象と具体が何かすら知らない。そして入試問題で最も多い設問は具体的に説明しなさいだ。道理で得点にならないわけだ。はじめから具体化して読んでいる人にとってはなんでそんな当たり前のことを設問として問いを立てているんだ?というくらい簡単なことを聞く。)抽象と具体は同じことを違うところから見ているだけなのだがそれらの両方ともが同じAの色に見えていなくて、AのあとにBがきてCがきたといろいろな色に見えてしまううちはイイタイコトなどつかめない。同じ色に見えないのは理由を追いかけていないからであって1つ以上の理由がささえるAがわかったらそれと同じBやCがあっても、これってAと同じことをイッテイルトコロだったと掴めるようになる。
たとえば文法(追加 並列 時の推移 因果 逆接 対比 類比 結論 強調 移行 話題 質問と回答などの決まった形式の論理的な文法ルール=ピジン語にはそれらは少ない)はテキストの読みの可能性を狭めていくことができる道具であり判断基準となる。この形式はこの可能性だけまでを持つということの正しい知識があれば読解を正確に無駄な可能性に飛ぶことなく素早く行えるようになる。
イイタイコトはテーマについてのことであってそこには理由がつけられてある。何がイイタイコトなのかをつかむにはその前にテーマを押さえておく必要があって、何をイイタイのかがわかるためには理由を抑える必要がある。「テーマについて、理由がこうだから・・・なんだ(・・・すべきだ)。」の肝心の・・・がわからなければわからないほどむしろ逆にテーマと理由をおさえなければならない。
テーマについてイイタイコトはこれこれだ。こうすべきだ。と説明がしてあってそのわけが書いてあるのが文章なのだから、テーマと理由を見れば見るほどイイタイコトが文章の中から浮かび上がってくる。
基礎の段階では行の読み、単語、文法に学習の重点を置けばよいが、同時に長い文章を読みながら結局何がいいたいのかという行間、行をこえた読み、テーマと理由をとらえるような練習をもはやい段階から実践していくのが到達すべき緻密な読解というゴールで要求される水準を見ること知ることになり成長のスピードも早くなる。
Be more specific.
北の門より、ながひつにちはや着たるものどもすはうのこきうつたるくはうこくのいだしきぬ入れてもてつづきたる、べちにおもしろくみゆべきことならねど、ところがらにや、めでたし。(讃岐典侍日記)
説明の例のため記号で記すと、
主語: [北の門より、ながひつにちはや着たるものどもすはうのこきうつたるくはうこくのいだしきぬ入れてもてつづきたる]、
具体化 : べちにおもしろくみゆべきことならねど、めでたし。
理由 : ところがらにや、
解釈例
・・・つづいているさまが、おもしろくないはずなのにすばらしい。そのわけは、場所である。
ああ、わたしにもあったなあ、ただの無人駅まえの古びたかんばん、たてもの、さびれ、どうしようもないくらいの見るところもなさそうなその風景を前にして、立ち止まって、呆然とさせられる。許されるなら目に焼きつくほどみつめたい。そのわけは場所にある。
読解とは、自分のことのように読めたことは一生忘れられないような体験のことである。
精読について今回は書いた。
本文精読の前にできることがある試験形態というものが存在する。
それについてはまた別に書く予定。