でね(でね?)、 学校の傍用問題集を使い倒すことほど力のつくことはないんよ。 学校の傍用問題集を解けるように学校の授業がある。 学校の傍用問題集を解けるように教科書がある。 どうしても(6回以上読んでも)学校の傍用問題集が解けないのなら参考書を開いてみたらいい。 学校の傍用問題集はわざと解答解説が簡易になっている。なんでかって? な~んでか? 目で追うだけでなく自分の手を動かして勉強できるようにだ。 学校の授業を前提にブラックボックスにしてあるからだ。 傍用問題集はわかりにくい→自学しにくい→つかえない…って? んなこたぁない。授業を生かせば力がつく。わからないところは参考書を紐解いて予習復習したらよい。 調べるチャンスも適度にある。 学校の傍用問題集を徹底することもしないで自分の好きな本や参考書しかやらないとしたら学校の授業(それが生活の中で大半を占める)を無駄にしている。教科書(学校の授業の基本)を無駄にしている。基本を無視だなんて、もったいないオバケがでる。教科書や学校の傍用問題集も読まずになにがはじまるんだい? 合格者は基本を重んずる。合格者たちは学校の傍用問題集の価値を知っている。アプリーシエイトしてる。 それを解くことからわざわざ逃げない。 傍用問題集は見た目は地味だしみんながもってるから希少価値はない。でも力がつくんよ。まじでまぶで。 学校の傍用問題集を徹底的に使い倒して表紙もボロボロになるまで繰り返している子がいる。ヴォクはそういう子が成績が悪いのを見たことがない(ん?デジャブ?いえ、ただのコピペです。)。 字を丁寧に書く子が必ず成績がいいのと同じく、学校の傍用問題集に対して丁寧に取り組んでいるような子もまた実に成績がよい。 学校の傍用問題集を繰り返すのと成績は比例する(どうでもいい話だけど)。 親は子に本当は何の問題集を買い与える必要もない。傍用問題集にほとんどすべて揃っている。 傍用問題集を100パーセント身につける、これもまた実に力のつく稽古だ。 違う、ちがう、ち~がう、そうじゃな~い。志村~、うしろ~。 傍用問題集に気がついて~。 ちが~う。学校で配られたあれだよ~(声を枯らしながら)。 入試でも基本を制するのが基本(基本だけに)。 学校の傍用問題集は地味にいい。 でね(でね?)、 学校の傍用問題集を使い倒すことほど力のつくことはないんよ。 塾に行かない子でも学年1位はとれるよね? 塾は週1回でも学年1位をとれるよね? 全部やり終えたのでプリントをください、とたまに超積極的な子から言われる。答えはノーだ。 量はもういい。 「で、全部かんぺきにしたの?」 次は精度だ。 学校の傍用問題集を解けるように学校の授業があった。 学校の傍用問題集を解けるように教科書があった。 学校の傍用問題集を解けるように参考書があった。 学校のノート、学校の教科書、学校の傍用問題集のすべてがかんぺきになったのかな? 差はその精度でつくんじゃないか。 80パーセント、 90パーセント、 92パーセント、 95パーセント、 98パーセント。 99パーセント。 まだまだぁ~~っ 傍用問題集はなぁ~ 傍用問題集はなぁ~ 傍用問題集をなめんじゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! (サラリーマン金太郎かっ!) 精度を100パーセントまで上げるのが稽古メニューだ。 傍用問題集をなめんじゃねぇ!(だから金太郎かっ!) 試験でボンミスがたえないのはなぜだと思う? ミスは漢字で「看す」と書く。みるみるうちにみすみす見過ごしてるってことだ。 普段から傍用問題集を100パーセントまで仕上げてないからだよ。 セミナー化学。 センサー生物。 4ステップ数学。 サクシード数学。 ニュースコープ数学。 プロビジョン英語。 ワークアンドトライ。 社会の学習。 社会の自主学習・・・。 センター試験で100点がなかなかとれないのはなぜだと思う? 学校の傍用問題集が100パーセントに仕上がっていないからだよ。 難関校に合格した子、 学年1位だった子、 特待合格を果たした子、 志望校に合格する子、 学校推薦される子、 通知票がオール5の子。 誰もがやっているごく当たり前のことがある。 目の前の1冊をやった、しかも完璧になるまでだ。すみずみまで1つ残らずだ。 塾に行くかとか行かないかとかは問題じゃない。問題集なら学校で渡されるから。書店にあるから。 週に塾に何回行くかなんてそれはどうでもいい。問題集ならどこでも開けるから。 自分がやるかどうかだ。自学の真の意味はその中にある。 ひとりじゃできない?それはひとりでやってないからだよ。 自信がないのならやるしかないんだよ。 やって誰よりも稽古してまずもってるものを仕上げるの。 学校の傍用問題集を仕上げるの。 傍用問題集をなめんなよ(なめ猫かっ!)
どうでもいい話(91)
学校の問題集(教科書傍用問題集)を大切にするのと成績は比例する。
あ、書いてみたかっただけです、ええ。
でね(でね?)、
学校の傍用問題集を使い倒すことほど力のつくことはない。
学校の傍用問題集を解けるように学校の授業がある。
学校の傍用問題集を解けるように教科書がある。
どうしても(6回以上読んでも)学校の傍用問題集が解けないのなら参考書を開いてみたらいい。
学校の傍用問題集を徹底することもしないで自分の好きな本しかやらないとしたら学校の授業(生活の中で大半を占める)を無駄にしている。教科書を無駄にしている。もったいないオバケがでる。教科書や学校の傍用問題集も読まずになにがはじまるんだい?
合格体験記を読んでみたらいい。合格者は学校の先生のことを尊敬している。「受験英語でほかの先生の授業は受けたことがないですが○○先生は一番だと信じています。」みたいに。それがいい。信じて一生懸命に努力するのが力がつく。亀仙人のじっちゃんはすぐ後ろにいる。
しむら~、うしろ~。
合格体験記を読んでみたらいい。合格者は学校の傍用問題集を大切に使っている。
本や参考書はたくさんある。そのどれもがすばらしい。
そんなにすばらしいものならみんなやってみんな得意になるはずだ。しかしどんなにすばらしい本を手にしたところで悲しいかな、身につく場合と身につかない場合がある。なぜなら使い倒すその徹底度が違うからだ。その図書への信頼が違うからだ。
ヴォクは中高時代アルバイトでは本が買えなかったので立ち読みですませていた。立ち読みしきれない英文解釈教室とか思考訓練の場としての英文解釈(←思考訓練は化学もある)など厚めのものは買った。当時は古本屋もなく新品で買うしかなかったが何度も立ち読みして折り目がついたような本を結局自分が買う、・・・という。でも家で寝ながらでも読めるのはうれしかったなぁ。 本屋では寝られないからね。
合格体験記を読んでみたらいい。合格者は学校の傍用問題集の価値を知っている。
傍用問題集は見た目は地味だしみんながもってるから希少価値はない。でも力がつくんよ。まじでまぶで。
学校の傍用問題集を徹底的に使い倒して表紙もボロボロになるまで繰り返している子がいる。ヴォクはそういう子が成績が悪いのを見たことがない。
学校の傍用問題集を繰り返すのと成績は比例する(どうでもいい話だけど、あ、どうでもいい話だ、うん。実にどうでもいい。)。
親は子に本当は何の本を買い与える必要もない。傍用問題集にすべて揃っている。
傍用問題集を100パーセント身につける、これもまた実に力のつく稽古だ。
違う、ちがう、ち~がう、そうじゃな~い。志村~、うしろ~。
傍用問題集に気がついて~。
ちが~う。学校で配られたあれだよ~(声を枯らしながら)。