ウンウンとうなりながら、まるでヘルメットでもかぶっているかのように集中して頭が動かず、自分でトコトン考えていたらやがてできるようになるものだ。
自分で考えもせずにただ他人の説明を聞いてばかりいても上達の上限がすぐにやってくる。
水はただたくさん与えたらよいというものではない。
たしかに水は必要だが与えすぎてはお腹によくない。
ましては無理に飲ませようものなら水が嫌いになってしまう。
答えはたしかに用意されている。いそいでドンドン詰め込むことはそれはやればできる。テレビ講座もある。本もある。問題集もある。ラジオ講座もある。CDも。DVDも。そして毎日のように学校がある。
いそいでドンドン詰め込むことはそれはやればできる。ある程度まで。知識だけなら。
でもそれでは自ら学ぶ力が上がらない。知識の使い方がうまくならない。
自分がわかるかわからないか、自力で解決できるか否か、いや自力で解きたいと思うか、自分に何かを積み上げたいと願うか、それを大切に考えている。
今日のヒカリっ子(小5)。宿題も全部やってきていて、英短文も週ノルマの15文、よくかけていた。少しずつセルフラーニング値が上がってきている気がする。