やりたい勉強をやれ(2)
「何回転やったらいいですか?」
そんなもん、自分の納得するまでやれば何回でもいいでしょ。
繰り返し考えることは思考力を高める手段のひとつ。
ときには自分が納得するまで何度となくやりたいだけそれの勉強を反復させてみたらいい。
たとえば誰かに説明してもらったなら、わかったり、わかった気になったりする。
誘導質問みたいに説明のハシゴがスモールステップであるなら、それらの誘導質問に従順に従ううちにわかるような気持ちになるものだ。
説明者は一般にわからせようと必死なんだ。
わかるまであきらめることなく教わるならわからないわけがない。
でもね、わかると解けるは違うんだ。
わかっちゃいるけど実行できない、そういうものが世界には六万とありふれてるんだ(いや、一万多いからっ!)。
説明を受けてわかった気になるのはまるで、証明問題で(かっこ)の空欄を埋める形式とか、センター試験の数学で穴を埋めるときのようなもので、思考の大部分は発問者が肩代わりしてしまっている。
答えを言わないようにとどんなに発問者が気をつけたところで、A→B→Cという矢印の道筋を示していることは否定できない。
そっちじゃない、こっちだってば、もっとこっち!さぅさぅ、そぉそぉ!!って教えてるんだから、宝のありかくらい次第にわかってくるもんだ。
たとえばそれをノーヒントで一から自分で考えてみるとしたらどうだろう。もいっかい、目隠しを目に巻いて(あえてダブりで)、くるくるくる~って回ってから、ヨーイのドンと自分で一から解いてみるの。
ん?間違ったかな・・・?
はじめにわかったと感じていたことが錯覚にすぎず、巧みな誘導尋問にかかっていただけだったことに気がつき膝をうつことがあるかもしれない。
な、ヴォク、わかってないじゃん!な、やっぱりな、うん(って、おいおい!)。
二回目は一回目に気がつかなかった様々の問題点を見つけられるかもしれない。一回目には見えなかったことが見えてきて感動するかもしれない。・・・①
三回目は二回目に気がつかなかった様々の問題点を見つけられるかもしれない。二回目には見えなかったことが見えてきて感動するかもしれない。
四回目は三回目に気がつかなかった様々の問題点を見つけられるかもしれない。三回目には見えなかったことが見えてきて感動するかもしれない。
・・・
K+1回目に、K回目に気がつかなかった様々の問題点を見つけられるとすると(バキューン・・・(って、それ、コピペですからっ。)
というわけで、自分で考えてみる。頭が欲するその問題点を。
嗚呼、私はもう気がついている、私はもうわかったぞ、と。
(つづく)
やりたい勉強をやれ(1)(コラボ)
「今夜はカレーだよ」 (2)
失敗しよう(1) (2) (3) (4) (5)
勉強という名のスポーツ(1)
スピード(1) (2) (3)
答えはこの中に(1) (2) (3) (4) (5) (6)
練習してないでしょう?
済みとすみませんのはざまでアメマー!
失敗を次に繋げる。 (2)
森勉(赤)(緑) (青) (黄) (桃)
水があるだけでは川は流れない(1) (2)
中3
コース選択会議
ほなね。すた、すた、・・・スタバ。