ヒカリ

DEEP RIVER 光

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真似から理解へ

image0002.JPG小学生英語では1段からはじまり900段まで英語を学んでいる。901段目は高校英語に繋がっている。

はじめは「真似」でいいが途中から「ああ。だからこう言うのか」と「理解」するようにならねば昇段試験に通過するのも難しくなる。どうしてnotでなくam notでもなくdon'tなのかと。真似だけでは進めない。

寿司屋にいって注文する。注文方法は色々あるだろう。ワンパターンなもの真似注文だけでは、食べたい寿司を握ってもらえない(寿司屋なんていがないげど)。

数学の問題を解くとき、公式を証明するときもはじめは「真似」かもしれない。でも試験には同じ問題だけでなく新しい問題も出る。新しい設定、新しい組合せ。本質的な理解にせまる問題。新しい問題を目の前にして解けるか否かは「理解」が左右する。パターンを覚えているだけでもいけない。なぜそうなのかを自分なりに深く理解していることが、解答を思い付くことの土台になる。

「真似」から抜け出し「理解」を試みる、そういうことが創造力のステップになるだろう。

たしかに真似は強い。前例の中にも有効な解決策はたくさんある。真似がうまければ大概の課題をあるいは解決できるかもしれない。大概の問題なら。

でも人生は常に新しい問題と課題に満ちている。真似だけで人間が月の上に立つことなどできたろうか。真似だけでイチローはいまのバッティングフォームにたどり着いただろうか。

真似だけでなにかのプロが務まるだろうか。

理解するには自分の頭で考える以外に方法はない。どんなにたくさん授業を受けても理解するのは他ならぬ本人だ。受ける講義数の多寡はあまり問題にはならない。理解しようと考えるかどうか、それが問題だ。