上尾市にある学習塾|光塾

テキスト読解

090506_1730~01.JPGどうでもいい話だが、作品と人は別物という考え方がある。

文学なんかでもテキストとそれを書いた作者は別で、テキストを現象学的に読む理論がある。

ヴォクのスタンスは(普段の読書時は)これに近い。(大体午前に二冊くらいずつヴォクは本を読んでいる。)

ただしテキストひとつではなく、目に入ったテキスト全体、過去に読んだテキストの総体の世界観を楽しむやり方である。ヴォクの場合ね。

たとえばどんな善良な市民でも火曜サスペンス(岩崎宏美のこわいテーマ曲つき)のようなこわい話を書くことがありえる。

ブログも同じ読み方をしている(ときがある)。たとえばひとつの記事が下品なものだとしてもそれだけでそのブログ作品全体を下品だと決め付けるようなことはしない。その記事部分の下品さの意味が加わり全体のバランスや構成が変化する、そういう感じ(はじめて書くからうまく言えないけど)。

他者批判もテキスト全体の中での意味を考えて読むようにしている。その他者を批判することで、作者は逆にどういうことを主張しているのか、と。

主張もなく延々と他者批判だけに終始するような作品は次第に読みにいかなくなるだけだ。

思うに、受験現代文の説明文の読み方にも通ずるものがあるだろう。作者についての背景知識、そういうものではなく受験現代文では、テキストに何が書かれてあるのかがミクロ、マクロに問われる。だから、テキストをありのままに読む練習ができる。

以上、なんのことはない話でした。

ほなね。すた、すた、…スタンプカードを集めるといいことありまっせ~☆(byねこにゃ~☆さん)

(画像は小5生が今までに暗記した英短文。数えてないけど1000文くらいはスラスラ言える、書ける状態。日常会話には困らない。小学校ではじまった英語遊びみたいなのはうちはやりません。語学(日本語←→英語)を通して思考訓練、論理訓練をするのが英語を学ぶことのひとつの価値。)