ときにはぼくのことをメモ。略してトキメモ。
(えっ?)
あとで消すかも(笑)
小学生の頃からいとこと競うようにファミコンという、テレビジョンという四角い箱をつかって行うゲームマシンに夢中だった。ファミコンを知らない人はヤホーでググってみよう。
ファミコンより前の6000円で買った、パラシュートでおりてくる人間をボートに乗せるゲームウォッチのバルトではヴォクの方が上手だったが(バトルね)、ファミコンのマリオブラザーズ以降はどういうわけか従兄弟の方が上手だった。彼はひょっとしたら日本一マリオ系がうまかった。いや、多分うまかった。
戦いの時代が中学、高校、大学と続き、舞台がスーファミ、64、ときにプレステ、セガサターンと変われど、その上下関係に変わりはなかった。
彼はマリオを含めありとあるゲームに、ゼルダに、ドラクエに、ボンバーマンに、レッキングクルーに、エキサイティングベースボールに、サカつくに、ベストプレープロ野球に、FFに、ダビスタに、信長の野望に、ウィプラに(いや、ウイイレだから)習熟していて、やりこんでいて、かたやヴォクは基本的にパワプロやパワプロの選手育成や実況パワフルプロ野球に熱中していた。つまりパワプロ専門に活動していた。
でも得意のパワプロでもヴォクは分が悪かったんだ。だって、彼はテレビを二台並べて、一台で野球中継を見ながら、かつもう一台では同じチームと同じメンバーでパワプロのコンピュータ対戦をするという(比較的高度な)修行をつんでいたようだったから。だから実戦ではヴォクの投じるナックル魔球も、桑田ばりのレインボールも簡単にうたれまくった。ロッテの落合や浜の内川くらいの打率でうたれまくってた。
唯一彼に勝てたのは、バーチャファイターだけだった。なぜか彼はSEGAのバーチャだけはやらなかったから。ストリートファイターとしてのほこりがあったようだ。
己は学生時代にパワプロのホームページ(当時全国最大規模)をつくり全国のパワプロファンと育成選手を交換したり、自慢しあったり、オフ会で神宮球場でキャッチボールをしたりコーヒーを飲んだりした。彼は彼でマリオの人気サイト(当時全国最大規模)を運営し、そのまま任天堂にストレート入社し、最近も世界を(パタパタとあるいはノコノコと)とびまわっている。
ヒカリ君、質問。
勉強との両立は?って?
受験の年にはゲームマシンはすべてファミコンショップに売り払っていました。ええ。
彼も受験の一年間はゲエム機を封印していたと聞いているヴォクです!みなさん、春の小川のサラサラいう中、いかがお過ごしでしょうか。
まぁ、前置きはどうでもよくて、本題ね。
携帯電話も、ゲームも漫画も、誘惑は目に入らぬようにするのが勉強中の基本。
われわれは、携帯電話やゲーム機器の奴隷ではない。
ほなね。