ヒカリ

DEEP RIVER 光

上尾市 桶川市 個別指導 学習塾 セルフラーニング光塾

しゃべらないと。

花波日記なんかおモロ~でないと言われたので今日から代わりにもっとたいせつなことを書こう。

ヤッホーでいくら検索してもヴォクの高校生活なんてなかなかヒットしない(ヤッホーじゃないから、ヤッホーって山びこかっ)。

だから書こう。書けば「ヒカリ、高校、たこ焼き」でヤホーにヒットするようになるだろうから。ブログってそのためにあるんだよな?(違うか~。)

うら若き高校時代。

ヴォクは文化祭とか体育祭になると学校を抜けだし(○○だチャリで走りだし(バキューン…)、「タコ八」というたこ焼き屋に行って、おばちゃん(いつもそう呼んでいたからおばちゃんというのが名前だと思っている)と話してた。居座るのが長すぎてきまずくなるとアップルというコンビニのカレーコーナーのイスに座ったり、天文館の中央スポーツにラケットを見にいったり、サ店でポークジンジャーを食べる人を横目に見たりしながらコーヒー1杯をすすりながら本なぞを読んで過ごしてた。

もちろん100m走はクラス代表だったので、そこの時間だけはカールルイ子になりきって走ろうと、フライング1回までというルールをも有効に活用し体育教師に大会本番で怒鳴られながらスタートを切りゴールを切りもしたが、まぁはやい話がヒッキー(引きこもり)だったし、時間の全部を決まった場所にいるのが苦手で、授業をサボる回数にはそうやすやすとは負けない自信があった。主将だったので鍵つきの部室をマイルームにしていた。臭かったなぁ。

高3の秋や冬になっても後輩の応援という名目で、電車に乗ってテニスの試合のため公欠(自称)したりしていた。ベンチから試合を眺め、商業の○○のサーブはいいなとか実業の△△は化けたななどと違う学校の選手たちの動きに、一人ごちていた。

授業には出ないことがあっても金海堂かどこかの本屋の学参コーナーで立ち読みや座り読みをして熱心に勉強をしていたものだ。

そう考えてみるとヴォクはあまりしゃべるのは得意な方じゃなかったのかな。どちらかと言えばヒッキーだったんかな~、って。

ピシャリ。

そういう個人的なことはどうでもいいんよ~。

そんなヴォクなので、子別指導のわが教室に通い出した子供が一年も二年も経ってもヴォクに話しかけてこなくともいささかも驚かない。

わかる?とヴォクが聴いたときに、「うん」か「ううん」かも蚊のなくような声で聞き取れなくても、あるいはそれさえもせずうなずくかうなずかないかがやっとの子が来て授業中におよそ会話らしきものが成立しなくても全然無問題なんだ。

世間には4分間に33個や40個のボケをかませる漫才師もいれば、150分間でしゃべる言葉が「はい」くらいの人もいるものだ。それが人間のつくりだ。白熊いわゆるホワイトベアーと違って人間は声が出るから、コミュニケーション形態が幅広い生き物だ。

しゃべるものからしゃべらぬものまで♪

動かす力だヤッホー~(だからヤフーだからっ!)

逆に、先日はヴォクに(子供の使わないペンが机の上に出ていたときに)、これ私の筆箱にしまっといて!と依頼してきた子(小学生)までいて、かくも意思表示のレベルとは異なるものかっ!と多いに感動した。

もちろんここはそういうメイド喫茶(的な~)家ではないし(行ったことないけど)、子供のことがかわいすぎるから何でもしてあげる(みたいな~)家でもないので、その命令には(従いたいのをぐっとこらえて←Mかっ)従わなかったが、感動したことには違いはなかった。

しゃべる子もいればしゃべらない子もいる。しゃべらなくてもいいんよ。問題はしゃべることができるか否かではない。勉強がしたいのかしたくないのかの一点だけを根拠にヴォクは授業をするかしないかを決めている。勉強がしたいなら見る。勉強がしたくないなら見ない。それだけのことだ。

いまの塾では勉強がしたいのかしたくないのか、そういうのは子供がしゃべらなくてもまぁ、わかる。

1000人教室にいた昔は気付かなかったことがいまの小さい塾家ではめっさたくさんあるような気がする。毎週まいしゅう、何年間も、子別に120分以上一緒にいるわけだからね。

あ、でもね、しゃべりはよく言われるように修行でうまくなるよね。ヴォクはR1とかM1のDVDは大体全部もってるし漫才は好きだが趣味としてより、しゃべりの練習用に揃えたものだ。

浅草のナイトのベシャリなんかは多いに見本にしております(いや、ナイツだから、もぅよろしい)。

(右手を下45度にしてお辞儀を3方にしながら退散)