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離3(コラボ)

 lion節に次のような言葉がある。   「『離』とは、ある特定の考えに縛られず、一度それを切り離して、物事を客観的に見つめることです。」 「そうすると自分がよく見えてきます。」 「名もなき詩」2008/7/26号より)  シリーズ「離」の第三話「離3」ということで、たまたま「理3」という言葉と音が同じになった。東大理科三類が全国最難関の入試であることは周知の通りだが人として別格の人(変わった人、残念な人)だけがそこを目指せるのだろうか。否。それは紋切り型の考え。理3を目指すような人たちは、体験記なんかを読んでいると、周囲の声ではなく自分の声をよく聴いているなといつも思う。そしてごくごく普通の人。人間。偏差値が70だから無理という「特定の考え」をスパっと切り離している。目指すか目指さないかを決めるのは他でもなく本人だ。そもそも入試は偏差値で争われるわけではなく、単に「合計何点とったか」しか見ない。点をとればいいだけの話。脳を鍛えれば点は上がるに決まってる。虹のいろに切れ目ってないよね。ここの部分は別格なんて虹の中の色にあったかな。ただちょっとだけどっちかにいけば赤っぽくてどっちかに行けば青っぽいってだけで大差ないじゃん!!  ある南の島(ド田舎)の家庭では、兄弟3人が全員、理3に進学したそうだ。家系的に頭がよかったからでしょ!っていうところで思考がとまるのは、「離~」できていない。「♪リーリーリー」って、どんどん「離~」出来る人なら、「ほぉー、理3でも考え方次第で目指せるものなんだぁ、へぇ~」と思うことだろう。一歩リードってやつだ。 大前研一も、「ゼロベース思考」といってこの重要な考え方を紹介している。前例や周囲の声ではなく、「ゼロ」に戻って、全部白紙にして、スタートすると、枠にとらわれずに新たな視点で物事をスタートできると言うことだろう。勉強の目標を立てるときにも、前回80点だったから次は90点で!という発想もそれはそれで悪くない。でも「離~」できるんだったら、「どうしたら100点をとれるんだろう」って考えるはず。それを聞いた周りの人は感動に胸をふるわせ応援したいと思うんじゃないかな。  ヴォクは去年、ある保護者様からメールを頂戴した。「どうしたら一番が取れるんだろう、と子どもが言っていました」という内容であった。そのメールをもらった瞬間に、この子はきっといつか一番をとる!とヴォクは確信した。  一番をとればそれでいいと思っているわけではいささかもない。一番という目標を本気で持ったということ、そしてそれをとるために動こうと決心したことに感動したと言っているのだ。目標は何だっていい。本気で目指すってことがいいなって思う。今までの経験だけを根拠にしていたら高い目標を本気で目指すなんてことはできない。 難しい。  壁がいくつもある。 問題はいつだって山積みだ。 根性の羽が折れちゃいそうになることも、折れることもつきものだ。 もーやーめたっ!って言いたくなることはそりゃあ、あるよね。  でも、そんなときに、いっかい、「リー」しちゃえばいいんよ。 失うものなんて何にもないところまで「リー」しちゃえばいいんよ。 そしたら始めることがまたできるかもしれないんだ。  (離4に続く)