(毎月19日は塾の日)
どこの塾に行ってるかとか、どこの学校に行って誰に習うかというのが果たしてそこまで重要なんだろうか。
むしろリスペクトしながらも結局自分ががんばれたり楽しめたりするってことの方がずっとめっさ大事なんじゃないかな、と。
野茂にトルネード投法を教えられるコーチがいるのか。野茂は野球が好きだ。だから清原にもメジャーリーガーにもここぞという場面ではフォークではなくまっすぐを投げたんじゃないか、と。
イチローに振子打法を誰が教えられようか(少なくともヴォクには教えられない)。イチローは野球を愛している。投手イチローが見てみたい、と。
落合に神主打法を伝授した人がいるんだろうか。落合は軟式庭球のボールをバットに長い時間接触させる遊びを繰り返すうちにあの打法になったと聞く。元祖俺流、と。
一流のオリジナルは見ているだけで見るものをうっとりさせる。
勉強も同じなんじゃないか?
プラットフォームはあっても、勉強方法は十人十色。好きなやり方で好きなだけ勉強したらいい。
一体全体、だれに、読む本の時期や順番を指図される必要があるのか、と。
単語集だって問題集だって、なにをどれだけやるかは自分で決めたらいい。いやむしろ自分で決めるからこそ最後まで自分なりにやりきれるんじゃないか。
ぼくは塾に一度も行ったことがなかった。学校は小・中・高公立だ。小学校は四つ、中学校は二つほど行った。
いろんな人(友達、教員、本)からいろんなやり方を盗んで勉強法を研ぎ澄ました。
あっちに手を出しこっちに手を出しする必要なんか実はあまりない。大事なことはまずなにより自分自身で決めるってことであり、自分で決めたことを本気でやるってことだ。
環境を疑うことからはなにも生まれない。環境のせいにしてもいけない。
自分を信じた先に、光さす場所がある。
(塾の日ブログはこちら、僕も明日書きにゆきます。)