たまにはぼくのこと。このシリーズはとくに人気がない。
でもでも~。でも。
ぼくは電話が嫌いだ。もともとヒッキーだからだがもひとつ理由がある。
営業電話の仕事(一日中電話帳片手にかたっぱしから電話する仕事)をバイトでしていたことがあり電話がきらいになった。
ぼくは当時「電話急げ!」(←善はでしょ)をモットーに池袋のタワービルから非通知で全国に電話をかけまくり、事務所内一位の成績をずっととった(んなこと自慢しても仕方ないっちゅ~に)。
まず電話嫌いだったヴォクがしたことは今でいえば「ウケる技術」みたいな(あくまで、みたいな)トーク本を買って勉強し、マニュアルを自作したり暗記したりした。
さらにほかの人が休憩中もぼくはかけた。成績のよい人がいたら飲みに誘い(飲めないけど)トークを聞いた。
それでだれにでもその商材を売るトークができるようになっていた。まぁそんなことはよろしい。ただの自慢だから。
そんなわけで(どういうわけで?)すっかり電話嫌いだったヴォクは開塾時には営業手段のメインを電話でもなく、チラシでもなく、はたまたポスティングでもなく、手配りにおいた。配りましたぜぃ。
ぶっちゃけ、駅前で配った。1日3時間×5回出動で最初の生徒40名くらいのうちの15名くらいにはそこから集まっていただいた。1時間あたり3名から5名とはキャッチだけじゃなくて長々と雑談をしてたんじゃないかな。何でも話すぜオーラ満開だったし。風船アートでミッキーマウスやきりんやライオンや狼だって自作して小さい子(5歳以下)には配ってた。ヤフーのパラソルゲリラ部隊みたいなあれね。ヤフー好きですから。ええ。プロバイダは全部すきですが。
雑談がとぎれると、
「塾で~す、塾です。風船屋じゃないですよ~。10たす9は?そぅ!それぇ~、じゅうくです~。ジョークじゃなくてジュークです。33歳でもジュークですよ~。ぼくは塾家のヒカリです。塾はいりませんか~。今ならなんとヒカリっ子になれますよ~。」と馬鹿でかい声でそれを配った(一部捏造、でも大体こういうテンションです、ええ。ユンケル?もちろん飲んでましたとも)。
(人が遠くにいるときは馬鹿でかい声で、近くにきたらつぶやきで←これ大事)
なにを配った?って、節約のためにティッシュですがなにか?
安いポケットティッシュ3000部に自作の紙をサインしたようなやつだった。5日間で全部なくなった。
ひとりで配りましたとも。
セミナーでヴォクが話すことは決まっていた。「売りたいものがあるなら、堂々と売りましょう。」これだけ。
以来、ぼくが駅前でチラシをまくことはないまま現在にいたり、当時駅前配付から入っていただいた塾生は全員いまも通っていただいている。なぜか駅前組(ぼくの頭の中だけでの言葉)はとくにやる気のある子だらけでした。
そんなことをふとさっきの問合せ電話で思い返したヴォクなのです、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
ほなねぇ。